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N9S ROCK MUSEUM

北九州という街と音楽

「北九州」は北九州以外の土地の人から見るとどんなイメージだろう?

北九州工業地帯、鉄の街、八幡製鉄所、そして鉄冷え。三大都市圏・都道府県庁所在地以外で初の政令指定都市。

修羅の街なんて呼ばれたりしていたこともあり悪いイメージを持っている人もいるかもしれないし、そもそも「北九州ってどこ?博多とはどう違うの?」っていう人だっているだろう。

でも近年じゃ「エコタウン」が推進されたり、「シニア世代が住みたい田舎第一位」なんて評価もあったり。

華々しい歴史と衰退そしてその共存、よくわからない酷評と博多に比べると異常なほどに影が薄かったり、都会になりきれなかったり、そんな街―。

 

一方で音楽シーンに目を向けてみると、1970年代後半から1980年代初頭にかけて北九州を拠点に活動していたグループが次々とメジャーデビューした。

同時期には博多エリアからもロックンロールバンドが相次いでメジャーデビューし、福岡は俄然注目を集めた。

それらのバンドを一括りにした「めんたいロック」なる呼称も生まれた。残念だったのはメディアが勝手に博多と北九州を一括りにしたこと。

個人的に対抗意識がある訳ではないが、博多と北九州は地理的にも随分と離れているし文化もそこに住む人々の気質も違う。(もっといえば博多と福岡も違うし、門司・小倉・戸畑・八幡・若松はそれぞれ違う。ただここでこの話を詳しくするとキリがなくなってしまうので、この話はここでおしまい。今回は敢えて両地域を博多・北九州と呼ぶことにする。)

当然それらはバンドの出す音にも表れていたし、その後両地域から輩出したバンドやミュージシャンをみればよくわかること。

北九州からはそのいわゆる「めんたいロック」以降も個性的なバンドが現れた。小倉のin and outを中心に北九州のライヴハウスシーンは活気づき、中でもパンクロックシーンは全国から注目されるほどだった。今は無き伝説のバンド、そして今なお最前線で活動するバンドも。

1990年代に入ってからも北九州からメジャーデビューするバンドは途切れることなく、海外のシーンに呼応するかの様にオルタネイティヴロック、メロコア、パンキッシュなポップロックなど様々なジャンルのバンドがデビューした。

またLIVE SPOT WOW!を中心にいわゆるヴィジュアル系と呼ばれるシーンが人気を博した。

21世紀に入ってからも北九州の音楽シーンは活性化を続け、ツアーで日本中を飛び回り知名度をあげているバンドもあり、北九州発のバンドは途切れることなく注目を集め続けている。

話によると彼らはMCなどでは自らを「九州から来た」とか「福岡から来た」ではなく「北九州から来た」と自己紹介するそうだ。嬉しい話ではないか。

 

そんな輝かしい音楽の歴史を持ち、それぞれが地元に強いこだわりを持つ。それが北九州。

1970年代から2020年の今に至るまで、北九州の音楽シーンについて大雑把に書き綴ってきた。

約半世紀、いろんなバンドがかつて存在し、そして今現在も活動していて老若男女問わずオーディエンスを魅了し続けている。

こんなに多くの名のあるバンドを輩出した地方都市はないし、何かと比較される博多と比べても何ら引けを取る要素は微塵もない。

そんな風に書くと何か「博多vs北九州」の抗争があったかの様な感じだが、もちろんそんなことはなく…多分なく、いや少しはあったかもしれないが(笑)、それぞれシーンを盛り上げてきた。(なお今回ロックバンドを中心に書き進めてきたが、北九州はJAZZ界隈でも非常に有名な街でもあったりするのだ。)

さて、これはあくまで個人的な見解だが、北九州の音楽シーンに1980年代からどっぷり浸かってきた私からすると2000年を境にバンド相互の関係性が希薄になった印象がある。

それはバンドとバンドのつながり、バンドを構成するメンバーそれぞれのつながり、ジャンルの細分化による音楽的な乖離。

もちろんバンド毎に活動ヴィジョンがあって、何か共同思想の様なものを持つ必要はない訳で、伝統を継承しないといけない訳でもない。

ただ自分がそういうものが当たり前だった時代に育っただけに何かこう淡泊に感じたりする感覚があったのは否めない、そう思っていた。

今回立ち上がったプロジェクト『N9S ROCK MUSEUM [あの日あの時] 僕らの音楽がここにある』の中心メンバーは2000年以降にここ北九州を拠点にロックバンドで活動していた面々だ。

私の個人的見解でいうところの淡泊な世代であり、2000年より前の世代と断絶している世代だ。

彼らがこの危機に「北九州の音楽を絶やさないために」模索を始めた、それが『N9S ROCK MUSEUM』ときた。

自分たちと同世代、後輩たちから始まり、少し上の世代、そして観たこともない会ったこともないさらに上の世代をつなぐ「MUSEUM」、これこそ音楽の街・北九州らしいやり方ではないか。

淡泊だとか希薄だとか断絶だなどという認識は吹っ飛んだ。

ライブハウス・音楽スタジオ支援という目的はもちろんだけど、もっともっと面白いプロジェクトになる気がしてならない。

伝統だとか絆とかに嘘臭さを感じる人もいるだろうしそれは否定しない。ただここに来れば純粋に北九州発の音楽を楽しむことが出来る。それだけ感じ取ってもらえればそれで十分。

でも私はどうしょうもなくこのプロジェクトにわくわくしている。

だって北九州に生まれて何がよかったって、ここにいるバンドたちに会うことが出来たからなんだよ。

それが一堂に会する場所があるなんて最高じゃないか。

音楽ライター 佐藤浩二

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