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N9S ROCK MUSEUM

N9S Column Vol.01 SHOGO from 175R

From 北九州

1998年に北九州小倉で175R(イナゴライダー)を結成し、今年で22年。

あっという間に40代に突入し、最近の夏フェスでは共演者のラインナップを見ると自分たちが一番ベテラン(?)なんて時もあるぐらい。

そんな時の流れを感じつつ、有名なバンドの言葉を借りるならば
“みんな無名だった、だけど…無敵だった”
あの頃を、このコラムでは少し振り返りたいと思う。

 

子供の頃から漫画やゲームにあまり興味のなかった俺は、音楽(特に邦楽)だけが唯一の楽しみだった。

TVの音楽番組は欠かさずチェックし、気になる出演者がいればVHSに録画してツメを折り永久保存(意味わかるかな、、、?)。

通っていた中学校の横にあったCDショップには毎月リリースされる新譜情報を必ずもらいに行き、本屋では毎月決まった音楽雑誌を購入、楽器屋では各楽器メーカーのパンフレットをもらっては

「いつか自分も掲載されるぐらい有名になりたい」と夢を抱き、部屋でいつも読み更けていた。

高校に入学してからは念願だったバンドを同級生と結成し、人生初ライブを西小倉WOWで決行。

今では笑い話だが、初ライブのステージ衣装はボンタンを着用(笑)。

友人だけで満員になったライブで調子を良くした俺は、早くも二回目のライブからオリジナル曲に挑戦し、高校に通いながら大好きだった音楽に没頭していった。

バンドを始めると徐々にメジャーアーティストだけじゃ聴き足らなくなっていき、地元のアマチュアバンド(今でいうインディーズ)にまで興味が広がり、デイズチャンネルやギルカバー&ザ・モンキーといった地元を代表するようなバンドのライブを観たり聴いたり、周りの同級生があまり知らない音楽の世界に惹き込まれていく。

そんな地元バンドの音源や情報を手に入れるには、その当時小倉駅の新幹線口にあったインディーズのCDショップ ”カメレオンレコード(通称カメレコ)”に行くしかなかった。

地元バンドはもちろん、全国のインディーズバンドのテープやCD、レコードやグッズなんかが店内に並んでいて、不愛想な店員がカウンターで睨みを利かし、高校生の俺にとってはどこか恐いけど興味をそそる不思議なお店だった。
「いつかこのお店に自分の音源を置きたい!」自分の中の一つの憧れでもあった。

高校時代のバンドは卒業と同時に解散。ラストライブは地元アマチュアバンドの目標のステージでもあった黒崎マーカス。

初マーカスは先輩バンドのイベントに出演させてもらったのにも関わらず、勝手に自分のバンドのラストライブにし感傷に浸っていた恥ずかしい思い出でもある(笑)。

そして高校卒業後、絶対有名になるバンドを作ると意気込み結成したのが175Rだった。

175R(イナゴライダー)

175Rを結成してからは学生時代の限られた時間の中でのバンド活動とは違い、アルバイトをしながら自分の練った活動計画のもと、オリジナル曲を制作し無我夢中で音楽漬けの毎日を過ごしていった。

まず、黒崎マーカス主催の十代限定のバンド大会に出場しグランプリを獲得。その賞金を元手にスタジオスマイルでレコーディングし、初のデモテープを制作。
「1769-INAROCK-」と名付けた4曲入り500円のこのデモテープで、カメレオンレコードに自分の音源を置くという一つの夢を叶えた。

のちにインディーズでリリースした1st CDのジャケットをデザインしてもらう事となる後藤さんと出会ったのもこの頃。

学生時代からカメレオンレコードで見ていた無愛想でコワモテの店員こそが後藤さんだったのである。

恐る恐るカメレコに電話し自分達のデモテープをお店に置かせてもらえないか交渉の電話。

「置くのは構わないけど3か月売れなかったら返品させてもらうからね。とりあえず5本ぐらい持ってきたら?」という愛想のない返事をもらい、それでも初めて店頭に自分達の音源が並ぶ事が嬉しくて仕方なかった。

結局このデモテープは一体誰が買ってるのか不思議なぐらい驚くほど売れ、気づけばセールスは2000本を超えた。

最初は厳しく冷たい態度だった後藤さんも、テープの納品などの用事でよく連絡を取るようになり、少しずつ心を開いてくれて仲良くなった。175Rのホームページやロゴのデザインなど、カメレコの営業時間が終わってから何度も実家に泊りがけで来てもらい、共に過ごす時間もどんどん長くなっていった。

北九州やインディーズの音楽シーンに詳しく、いつも相談にのってくれて、建前を言わず本音で接してくれる数少ない先輩だった。

ちなみに、先輩だった、、、と書いたのは、今はもうすでに亡くなっているからである。

上京してからも年に何度かは必ず連絡を取り合い近況報告をする仲で、亡くなる前の最期に話した電話の内容は、今でもよく憶えている。

その時にした約束は結局果たせてないまま。175Rを初期から知る大事な先輩であり、そして大切な友人でもあった後藤さんがこの世を去ってしまった事は、今でも本当に哀しくて寂しい。
そんな想いを込めて「シャナナ」という曲を作った。

いつか天の上で再会して、お世辞なしの批評を聞くのを楽しみにしている。

「シャナナ」収録アルバム 「GET UP YOUTH!」

話はそれたが、デモテープをカメレコで販売し始めた前後に(記憶が定かではない)、地元で有名だったグルーヴロードバンド合戦という年齢制限なしのバンド大会にも出場。

老若男女幅広い世代のバンドが出場するこのコンテストは「若さだけじゃ通用しない」とか「1曲しか披露できないのに英詩の曲じゃ無理だよ」とか、周りのバンドマンに様々な意見を言われたが、そのことが逆にバネとなり、意地でも何とかしてやると気合いでグランプリを獲得。

そしてこの大会で、審査委員長だったエレクトリックファミリー福嶋会長(のちの事務所社長)とも運命の出会いを果たす。

それからというもの175Rは北九州だけでなく九州の他県にライブに行くようになり、時には今までCDで聴いていたような有名バンドの九州ツアーのサポートをしたり、スタッフとして手伝ってもらっていた竹さん(現小倉FUSE店長)とラフォーレ原宿小倉のホールで共同企画イベントを開催したりと、地元で精力的な活動を続けていた。

ある時、当時スタジオスマイルをやっていた松井さんから勝山公園の企画イベントに誘われ出演したのだが、タイムスケジュールが押しまくりで、結局175Rがトリを務める時間帯にはステージは真っ暗闇。車二台分のハイビームのライトでライブをやった事があった。

なぜかこんなタイミングに限って、わざわざ東京から175Rの噂を聞きつけライブを観に来てくれたレコードレーベルの人がいた。

普通のバンドマンならまず経験する事の無いであろう環境で、まるで地獄絵図のようなライブだったが(笑)、結果この時に観に来てくれていたレコードレーベルと契約し、2001年「From North Nine States」をリリース。

その後もインディーズでアルバム「Go! upstart!」をリリースし、2003年「ハッピーライフ」でメジャーデビュー。

地元の仲間に向けて唄った2nd Single「空に唄えば」をリリースしてからは、自分の描いた夢を次々に叶えていった。

175R「ハッピーライフ」LIVE ver.

今回このプロジェクトが立ち上がり”N9S”という言葉を見たときに、なんだかとても嬉しい気持ちになった。

それは175Rが初めてリリースしたCDのタイトルが「From North Nine States」だからなのもあるが、あの頃は必ず「175R From 福岡」とは名乗らず、「175R From 北九州」と掲げ活動していた地元北九州に対する誇り・プライドみたいな感覚が蘇ってきたからだろう。

 

小倉を離れてから18年が経ち、今となっては175Rが北九州出身だということを知らない人も多いかもしれない。

でも、あの2000年代初期。

北九州という小さな街から日本全国に向けて、何か大きなムーブメントが湧き起こるような、仲間達みんなでワクワクした時代があった。

今回きっかけはコロナ禍だったかもしれないが、実は今更そんなのどうでもいいような気もしている。

時が経ち、みんなそれぞれ大人になり、ライブハウスから足が遠のいた人もいるだろう。

心のどこかに置き忘れていた、昔大好きだったバンドのデモテープを、音楽に夢中になっていたあの頃を、このプロジェクトがきっかけで思い出すかもしれない。

北九州は街も人も独特な雰囲気がある。

そして、独特な音楽シーンを持つ類稀なる土地だと思っている。

そんな愛すべき故郷の音を繋いでいくようなこのプロジェクトが、また新たなムーブメントを起こすパワーになると僕は信じています。

SHOGO from 175R


SHOGO from 175R

SHOGO(ショーゴ) 

1980年3月24日生 福岡県北九州市出身 A型

175R(イナゴライダー)のボーカリストとして2003年「ハッピーライフ」でメジャーデビュー。

2nd Single「空に唄えば」共に二作連続でオリコン初登場1位という日本ロックバンド史上初の快挙を成し遂げ、第54回NHK紅白歌合戦に出場。

その後も日本武道館公演や47都道府県ツアー、海外公演など精力的に活動を続けるも、2010年175R 無期限の活動休止を発表。

翌年、単身渡英しロンドンにて生活。

帰国後の2014年1月、玉置浩二と共作したSingle「太陽」でソロデビュー。
豪華なゲスト陣を迎え制作された1st SOLO album「大きな愛の木の下で」をリリースし、ソロとしては初となる全国ツアーを開催。

2016年175Rの活動再開を発表。

2018年にはバンド結成20周年を迎え、二枚目となるベストアルバム「ANNIVERSARY 1998-2018」をリリース。

2019年5月これまで書いてきた作品をまとめた自身初の歌詞集「HAPPY LIFE」を発売。 

音楽活動と平行してソロで数々の舞台やミュージカルにも出演。

現在フィリピン・セブ島に移住し、日本を行き来しながら様々な活動を行っている。

 

175R OFFICIAL SITE
http://www.175r.com

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